先日、近隣の女子高校生から「学校のプレゼンテーションの授業で『ルッキズム(外見至上主義)』をテーマにするので、話を聞かせてほしい」とインタビューの依頼を受けました。
10代という多感な時期に、医療の現場で「見た目」を扱う医師へその疑問をぶつけに来てくれた姿勢に感銘を受けつつ、私自身が日頃から診療の現場で感じている「外見の意味」や「美しさの本質」について、率直にお話しさせていただきました。
当日の対話の様子や感じたことを、先日Instagramにも投稿しました。
美容医療の現場から見る「ルッキズム(外見至上主義)」への違和感
現代社会において「ルッキズム」という言葉を耳にする機会が増えました。外見の良し悪しだけで人を判断したり、優劣をつけたりする風潮に対しては、私個人としても決して健全なものだとは思っていません。
しかし一方で、社会生活や人間関係において、第一印象や身だしなみといった「見た目」がある程度の影響力を持っていることも否定できない現実です。
だからこそ大切になるのは、「外見をどう捉えるか」という視点です。
私は、外見とは人生の目的そのものではなく、「社会の中で円滑に生き、人と心地よい関係を築いていくための手段(機能)のひとつ」だと考えています。
清潔感があること、肌や身だしなみが整っていること。これらは相手に対する敬意や配慮の表れであり、初対面の場面で安心感や信頼感を与える「機能」を果たします。ただし、それはあくまでスタートラインを整えるための手段に過ぎません。どんなに形が整っていても、それだけで人との深い信頼関係が生まれるわけではないからです。
形成・美容外科医でも「手術で創り上げることができないもの」
美容外科や形成外科の医療技術を用いれば、形態的な造形を整えたり、加齢による変化を自然に引き上げたりすることは可能です。
しかし、私たち医師がどんなに研鑽を積んでも、絶対に手術で創り上げることができない領域があります。
それが、その人の「表情」です。
・ これまでどのような経験を重ねてきたか
・ 日々何を考え、何を学んできたか
・ どんな人と出会い、喜びや悔しさを乗り越えてきたか
そうした生き様や内面の深みこそが、ふとした瞬間の眼差しや口元の動き、温かみのある笑顔といった「表情」として自然に滲み出ます。表情だけは、その人自身の日々の営みによってしか創り出せないのです。
外見と内面は「両輪」であるということ
外見だけを過剰に追い求める「外見至上主義」は、いつか必ず行き止まりを迎えてしまいます。一方で、「中身さえ良ければ外見はどうでもいい」と放り出してしまうのも、社会的なコミュニケーションにおいては少し勿体ないことかもしれません。
外見と内面は、どちらが上というものではなく、互いに影響し合う「車の両輪」のような関係です。
内面の充実が表情の豊かさを生み、整った身だしなみや外見への自信が前向きな気持ちを引き出す。そうした内と外のバランスが調和したときに、周囲から「なんだか、いい顔をしているな」と感じられるような、その人本来の魅力が立ち現れるのではないでしょうか。
結びに代えて
今回のインタビューを通じて、若い世代が「正解のない問い」に対して正面から向き合い、自らの言葉で考えようとしている姿に、私自身の背筋が伸びる思いがしました。
医療従事者として単に形態を整えるだけでなく、患者様が自分自身の人生を前向きに歩み、豊かな「いい表情」で日々を過ごせるようなお手伝いをしていきたい——。そうした原点を改めて再認識させてもらう、貴重な機会となりました。
お話しに来てくれた高校生の皆さん、本当にありがとうございました。素敵なプレゼンテーションになることを心から応援しています。